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大倉喜八郎の名言をまとめて紹介!どんな人??

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大河でも登場した大倉喜八郎の名言や、生涯について
書いていきます。

とにかく、ビックでスケールの大きな話が多いですよ!

大倉喜八郎の名言

https://ja.wikipedia.org/wiki/大倉喜八郎#/media/ファイル:Ōkura_Kihachirō.jpg より引用

大倉喜八郎の名言1

今日の経験を明日もちいない者は、大成功はのぞまれぬ

大倉喜八郎喜の名言2

信用を重んずべし、信用なき人は首なき人と同様なりと知るべし

大倉喜八郎喜の名言3

自分で働らいて儲けて、一寸儲ければ一寸だけ、一尺儲ければ一尺だけ、次第次第に大きくなるのがよいのです。

大倉喜八郎喜の名言4

誰も引き受けないところに商機はある。人捨てる時我これを拾う

大倉喜八郎喜の名言5

時は金なり 油断をするな 無駄をするな

大倉喜八郎喜の名言6

この大倉は事業をするために生まれてきたのだ 失敗したとてただの大倉に戻るだけだ

大倉喜八郎喜の名言7

知恵比べ 努力比べの 今の世に 欲しきは人の 勇気なりけり。

大倉喜八郎喜の名言8

今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった

大倉喜八郎喜の名言9

進一歩という金言がある。だが、私は事を行なうに際して、つねに5歩も10歩も突き進んでから改めて考えるようにしてきた。私はこの生き方で、今まで後悔したことはなかった

大倉喜八郎喜の名言10

諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけれども、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ

大倉喜八郎ってどんな人?


大倉喜八郎は
1837年10月23日に現在の新潟県新発田市に生まれました。

17歳で江戸に出て、その後かつお節店で修行し、
3年後には自分の乾物屋をオープンします。

武器商人として

30歳の時に横浜で黒船に圧倒され、
海外の技術に衝撃を受けたそうです。
これからは海外の技術が流行し、売れるだろうと考えた
喜八郎は、鉄砲店にて修行、翌年鉄砲店を開きます。

戊辰戦争では維新軍、幕府軍どちらにも
武器を提供していたそうです。

その後も台湾出兵、西南戦争、日清戦争でも巨額の利益を得ます。

企業家として


36歳でアメリカやヨーロッパを外遊し、
大久保利通や、伊藤博文、木戸孝允らと出会います。
この出会いが運命を変えたとも言われています。

さらに、新札に印刷される渋沢栄一や
早稲田大学を創設した大隈重信らとも行動を共にしています。

その後も鉄道や、土木事業、紡績会社、電力会社、水道会社なども立ち上げます。

立ち上げた会社

大倉喜八郎が設立した会社は、現在に残っているだけでも、

大成建設
帝国ホテル
帝国劇場
日清オイリオ
あいおいニッセイ同和損保
大日本麦酒(アサヒビールとサッポロビールの前進)


など名だたる企業がたくさんあります。

東京経済大学も設立しました。

92歳で亡くなられました。

スケールが大きすぎますね

大倉喜八郎の書籍は?

大活躍したはずの大倉喜八郎ですが、
そこまで大きく取り上げられることはありませんが、
その中でも何冊か本が出版されています。

ぜひ読んでみてください。